
日本バプテスト仙台基督教会
若者から老人まで喜び集う街のオアシス
Japan Baptist Sendai Church of Christ
北四番丁通信
「北四番丁通信」とは、仙台教会で日曜日ごとに発行している「週報」の巻頭言です。牧師および複数の教会員が執筆を担当しています。
当教会は1955年に仙台市の北四番丁沿い・旧奥州街道近くに設立されましたが、「北四番丁」という地名は、400年以上も前に城下町が造られた当初からの由緒ある地名で、江戸時代は武家屋敷が連なっていた地域でした。
歴史の流れと共に町並みも住む人々もどんどん変わっていきますが、いつの世においても変わることのない真理の言葉を、仙台教会に許されている時間の中で、たゆむことなく宣べ伝えていきたいと私たちは願っています。
「ゆるさ」の効用
2026年2月8日 松村尚彦(教会員)
大学時代に通っていた教会の牧師がよく「教会はゆるくて、だらしないところがあっても良
い」と言っていたのを覚えている。その頃の私は信仰についても、教会の仕事についても、キッチリしていないと落ち着かない方だったので、その話を聞くたびに「どうしてそんなことを言うのだろう」と思っていた。また当時の教会は政治的な活動にも関わっていたので、教科書問題、憲法問題や差別の問題について考え、時には教会外の活動に参加することもあった。このため教会の中で政治的な問題にあまり関心を示さない人がいると、やはり「どうしてなのか」と不満に感じることもあった。
社会に出てからも同じだ。私は「仕事ができることが正しいことだ」と信じて、猛烈な努力をした一方で、思うような仕事ができない人に十分な配慮が出来ていたかというと、そうではなかったと思う。しかしある時、このようなある種の「正しさ」に凝り固まってしまうと、イエス様の愛からどんどん離れて行ってしまうことに気づかされた。人は「正しさ」だけで動くものではないからだ。
教会でも職場でも、こうした「正しさ」には無頓着だけれども、人としての温かみを持っている人がいる。そうした人は、側にいるだけで「ほっと」したり、「安心」したりするものだ。私もそうした雰囲気を持った人に何度も助けられた経験がある。
このような人生の経験を経て、最近やっと昔の牧師が言っていた「教会はゆるくてもよい」という言葉の意味が分かってきたように思う。教会には色々な考えの人が集まってくる。だから教会では、お互いに自分の「正しさ」を一度わきに置いてみることが必要なのだろう。そうすると人と人との間にスペースのようなものが生まれ、「ほっと」したり「安心」できたりする場が生まれる。時にはそれが何よりも大事なことだったりするのではないかと思う。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ1つだけである。」(ルカによる福音書10章41節b~42節a)


