北四番丁通信

 

 「北四番丁通信」とは、仙台教会で日曜日ごとに発行している「週報」の巻頭言です。牧師および複数の教会員が執筆を担当しています。

 当教会は1955年に仙台市の北四番丁沿い・旧奥州街道近くに設立されましたが、「北四番丁」という地名は、400年以上も前に城下町が造られた当初からの由緒ある地名で、江戸時代は武家屋敷が連なっていた地域でした。歴史の流れと共に街並みも住む人々もどんどん変わっていきますが、いつの世においても変わることのない真理の言葉を、仙台教会に許されている時間の中で、たゆむことなく宣べ伝えていきたいと私たちは願っています。

 

「見えない神を信じる」

2021年6月20日 松村尚彦(教会員)

 

 新約聖書のギリシャ語にある「信じる」という言葉には、「あたかも、そうであるかのよ うに思って、やってみること」という意味があるそうです。聖書の文脈に即して言い換える と、それは「あたかも、そこに神の愛があるかのように思って、実際に人と関わってみるこ と」と言えるでしょう。  

 そのように信じて、実際にやってみると、不思議なことが起こります。つまりあたかも、そ こに神の愛があるかのように思って、人に関わり続けていると、相手の人も、あたかもそこに神の愛があるかのように、私に接してくれるようになる。そして周りにいる多くの人も、 その愛に感化されてだんだんと変えられていく。つまり私たちが互いに愛することができれば、愛という素晴らしい恵みは、どんどん増えて大きくなっていくのです。  

 聖書にはイエスが群衆にパンと魚を分け与えたという奇跡が記されています。イエスの元に 集まった群集が、もう夕方なのに何も食べるものがないのを見て、イエスは心を痛め5つのパ ンと2匹の魚を割いて群衆に配ります。するとパンと魚はどんどん増えていって、全ての人が 満腹してもなお余りあるほどだったという話です。この不思議な話を最初に読んだ時には、 その意味がよく分かりませんでした。しかし今では、神様の働きは、そこに実際に関わる人がいることで、どんどんと増えて大きくなっていくことを伝えているのだと思うようになりました。  

 私たちにとって神様とは、知的な理解の対象ではなく、ただ信じるという対象でもなく、 「あたかも、そこに神の愛があるかのように思って、実際に人と関わってみること」によって、 その存在と力を実感することができるお方なのだと思います。  

「いまだかつて神を見たものはいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわた したちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」 (ヨハネの手紙第一4章12節)

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