
日本バプテスト仙台基督教会
若者から老人まで喜び集う街のオアシス
Japan Baptist Sendai Church of Christ
北四番丁通信
「北四番丁通信」とは、仙台教会で日曜日ごとに発行している「週報」の巻頭言です。牧師および複数の教会員が執筆を担当しています。
当教会は1955年に仙台市の北四番丁沿い・旧奥州街道近くに設立されましたが、「北四番丁」という地名は、400年以上も前に城下町が造られた当初からの由緒ある地名で、江戸時代は武家屋敷が連なっていた地域でした。
歴史の流れと共に町並みも住む人々もどんどん変わっていきますが、いつの世においても変わることのない真理の言葉を、仙台教会に許されている時間の中で、たゆむことなく宣べ伝えていきたいと私たちは願っています。
あの日に経験したこと
2026年3月8日 松村尚彦(教会員)
震災の当日、私は鶴ケ谷にあるオープン病院の病室にいました。数日前に食べた鮨で食中毒になり入院していたのです。大きな揺れとともに体が投げ出されるような感じがし、直ぐにテレビをつけました。アナウンサーが津波の到来を警告し、最後に「じゅ、10メートル」と叫んだ時の、 あの甲高い悲痛な声を今でも忘れることができません。
翌日、治療の途中でしたが病院を追い出され、みすぼらしい入院服のまま自宅へ歩いて帰りました。道路は寸断され、殆どの信号が消えています。途中で幾つかの教会の横を通りましたが、 どこも門を閉ざして全くひと気がないようでした。やっとの思いで北四番丁あたりへたどり着き、仙台教会へ向かうと、建物に損傷はなくホッとしましたが、やはり門が固く閉ざされており、何か複雑な気持ちになったのを思い出します(当時の仙台教会は無牧でした)。
停電で真っ暗な夜を過ごしたあくる日は、主の日の礼拝がある日曜日でした。礼拝ができるのだろうかという不安な気持ちを持ちながら教会に行くと、すでに数人の姉妹兄弟たちが集まっていました。皆緊張した面持ちで、各自の状況を静かに話し合っています。道路が寸断され車も動かないにも関わらず、その日は恐らく15~16人が集まったと思います。吉永先生が礼拝説教をされ、その後に被害にあった方々のことを思って皆でお祈りをしました。いつもよりずっと少人数での礼拝でしたが、終わった時には皆の気持ちが一つとなり、混乱した気持ちが何か大きな存在に包まれていくような感じがしました。そして教会にあった少しの乾パンを皆で分かち合いなが ら、交わりの時を持ちました。それは静かな、しかしお互いの愛と信頼のこもった時間でした。
大きな破局の最中に経験したあの日の礼拝と、この小さな交わりの中にあった愛と信頼の感覚は、いまでも私の体の中に残っています。うまく言えませんが、あの時私たちは「人が想像するような神(有神論的な神)を超える神」とでも言うような「何ものか」に出会っていたのだと思 います。あの日の小さな交わりの中で経験した出来事は、私の信仰生活の中の大事な出来事として、これからも忘れることはないと思います。

