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北四番丁通信

 

「北四番丁通信」とは、仙台教会で日曜日ごとに発行している「週報」の巻頭言です。牧師および複数の教会員が執筆を担当しています。

当教会は1955年に仙台市の北四番丁沿い・旧奥州街道近くに設立されましたが、「北四番丁」という地名は、400年以上も前に城下町が造られた当初からの由緒ある地名で、江戸時代は武家屋敷が連なっていた地域でした。

歴史の流れと共に町並みも住む人々もどんどん変わっていきますが、いつの世においても変わることのない真理の言葉を、仙台教会に許されている時間の中で、たゆむことなく宣べ伝えていきたいと私たちは願っています。

ヨナはおまえじゃ!

2025年10月26日 福井愛未(教会員)

 朝晩がとっても寒くなりました。皆様お身体ご自愛くださいね。昨日は教会にとっても嬉しい出来事である結婚式が執り行われました。幸せそうなお二人を見ていると、「いいなぁ」と思う反面、自分ひとりの時間として時間使い放題の生活も捨てがたいような…。「何を言っとるんじゃ?」とツッコミが聞こえそうですが、自分自身の結婚も考えなかったわけではないんですよ、これでも。
 特別支援教育に携わる者として自分自身を見て思うことがあります。「同時処理」と「継次処理」という認知処理スタイルがありますが、大まかにいえば、前者はいろいろなことを並べてもいろいろ考えて取り組める、全体を見て俯瞰して考えられるタイプ(パソコンやデジタルのマルチタスクと思っていただければ)、後者はひとつひとつの手順や必要なものを整えて地道に取り組んでいく、ルーティーンを重視するタイプ、と言えます。両方バランスよく持っていられれば良いのですが、自分はこの「継次処理」タイプだなぁと思うので、もし仮に結婚していたとして、仕事も家庭(育児)も教会のこともやれただろうか?と、臆病にも思ってしまっていたなぁと思っていたら、マタイ6:24の聖句にぶち当たりました。
 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
 じゃあ、自分はこれでいいじゃん、これでいいのだ(バカボンのパパ風)、これが私の生きる道だ、と変に納得してここ15年ほど、ある意味自分なりに幸せに生きてきました。
 ほぼ毎日幸せに生きている私でも、ごくまれに出現する、こちらを全否定してくる保護者に対峙することになると、その理不尽さにかなり凹みます。先週がまさしくそれで、(学校のことなので詳しいことは一切書けませんが、こちらに落ち度はない)助けを求めるように水曜日夜の祈祷会に出席しました。10月の聖書教育はヨナ書の4つの章を読み進めていましたが、ちょうど4章4節のその言葉が心に響き渡りました。
 「お前は怒るが、それは正しいことか。」
 私にとって、その保護者がヨナ(=不平不満ばかり言う)だと思っていましたが、理不尽な恫喝をしてきたその保護者のこの先の不幸を願う自分こそが、ニネべの町に神の怒りが下ることを願うヨナの姿に重なっていったのでした。
 聖書の言葉は、時に見事なほどに、私の心にクリーンヒットを打ってきます。

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